音楽はなんとも心地よい麻薬である。副作用は、まだない。

90年生まれの音楽好きが、好きなことを書くブログ。基本は邦楽ロックや音楽理論や音楽に関すること。たまにそれ以外も。

皆さん、くるりの『Remmber me』が Oasisの『Whatever』を意識しているのは、ご存知ですよね。

こんにちは、めがべーです。

 

くるりの2013年のシングル、『Remember me』という曲を聞いたことがあるでしょうか。

 

 

鉛筆と消しゴムを使った手書きのストップモーションのMVです。

 

しかし、このイントロ、何かの曲に似てませんか?

 

 

 

 

そう、コレです。

 

Oasis の Whatever。(1994年の曲)

 

 

 

ぶっちゃけ、パクリだ何だと言われてたりしましたが、

岸田さんの愛にしか感じないです。

 

尊敬の念や、Oasisへの敬愛が込められたイントロに聴こえてきて

このイントロだけで既に泣きそうです。

 

 

 

 

ちなみに岸田さんのOasisへの想いは、このインタビューにも現れてて。。

1st「Defenitily Maybe」を初めて聴いた17歳頃、スウェードストーン・ローゼズのようなバンドだなぁと思ったと同時に、それらのバンドよりも、ギターのコード感 (コード進行と言うよりは)に、例えようのない特徴があるなぁと思った。それが第一印象。聴けば聴くほど好きになるアルバムだった。当然、2nd 「(What’s The Story)Morning Glory?」を聴く。その頃には私もバンドでソングライティングをやっていたはずだ。前作の「Live Forever」なんかで聴こえてきた不思議なコード感と共に、シンフォニックとも言える轟音のギターの中を泳ぐメロディー。とてもとてもダイナミック。 私のOASIS贔屓は、ここから始まったのかも知れない。勿論、最高の作品だったラスト・アルバム「Dig Out Your Soul」まで全て網羅したんだけれども。誰も語っていないOASIS論。「轟音ギター」とか「大仰なサウンド」とか揶揄されることもある彼らだけれど も、最初の最初から、彼らの音楽はベートーベンやマーラーの様な、シンフォニーのようだった。「ギターは小さなオーケストラ」とはジミー・ペイジの言葉だ けれども、ノエル・ギャラガーはローコードの開放弦と深いリヴァーブを使って、ペイジよりシンプルかつ所謂スコティッシュ・トラッド的な(バート・ヤン シュやエリック・ドルフィーの影も見える)フォーク・ロック・スタイルのギターで、ニール・ヤングとは全く異なるオリジナリティを確立した。音楽的、器楽 的にはシンプルだけれども、印象的にはベートーベンのような「歌えるシンフォニー」、つまり「本当の民衆の音楽」を初めて作り上げた、偉大なロックバンド だと思う。だから、ずっと聴き続けている。自分の中では、ベートーベンなんかと同じように、血肉となっている。

–––––岸田繁くるり

 

やべぇ。これは、泣ける。

 

 

 

 

 

あ、ちなみにWikiに面白いこと書いてあった。

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だってさ。

 

 

発音に気をつけないと、

リアムとノエルがキレちゃうよ。笑

 

 

じゃあ、またねー。